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   東日本大地震に思う…
      悲しみの深き淵より

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   東日本大地震に思う…悲しみの深き淵より   *

      INDEX……はじめに
           東日本大震災の教訓〜大地震・津波
           東日本大震災の教訓〜原発事故
           < 原発〜そのリスク管理 >考
               (1) はじめに
               (2) 原発批判派の言い分
               (3) 原発推進派の言い分
               (4) < 原発〜そのリスク管理 >の考え方
               (5) <大飯原発3、4号機の再稼働とそのリスク管理>考
               福島第一原発事故の教訓
               大飯原発 3、4号機の再稼動と琵琶湖
               (6) 「原発・地域モデル」論
               (7) エネルギー・ルネサンスへの道


           < はじめに >                       *
  2011年(平成23年)3月11日に、東北・三陸沖の深さ約24kmで発生したマグニチュード 9.0の
        巨大地震と大津波は、東北沿岸部などに未曾有の被害をもたらしました。
        東日本大震災発生より 1ヶ月後の4月11日現在、
        死者・不明者は計2万7千人を超え、県内外で避難生活を送っている人は15万人以上…、
        被害が余りに甚大過ぎて、その全貌は未だつかめておりません。
        更に、今回の大地震は福島第1原発事故を誘発し、
        社会インフラ崩壊時の原発大事故という
        人類が未だ経験したことのない大災害となりました。

  今次、大災害でお亡くなりになった多くの人たちに深悼の意を表し、
       地震・津波・原発事故の三重苦に苦しむ人たちに、
       神戸に住むひとりの人間として、できうる限りの支援を…とは思いますが、
       余りにも微力にして、なすこと全て無に等しく、
       軽々しき言葉を発するなど、許しがたきことでありましょう。

  が、しかしながら、
       1948年(昭和23年)に広島の地に生まれ、
       17歳の時に「セブンティーンのヒロシマ」のエッセー(原稿2百余枚)を物し、
       以来ずっとヒロシマの問題にかかわってきた者として、
       また、1995年(平成7年)の阪神大震災を経験し、
       その後の神戸復旧・復興を目の当たりに見てきたひとりとして、
       沈黙を守ることもまた、許しがたきことでありましょう。

  「都市の崩壊と再生」を生涯テーマとして、半世紀近く、空しく思索を続けて来ました。
       思うことは全て絵空事で、その発する言葉は限りなく軽く、空しいですが、
       東日本大震災発生より 1ヶ月…悲しみの深き淵よりのレポートです。

           < 東日本大震災の教訓〜大地震・津波 >         *
  阪神・淡路大震災の教訓は、大震災直後の救援活動に活かされておりました。
       復旧・復興の過程でも、阪神・淡路大震災の教訓は活かされていくでありましょう。
       そうした意味において、「阪神・淡路大震災」とその後の苦闘は、無駄ではありませんでした。

  被災後16年の神戸は、
       東日本大震災被災地への直接的な支援を行うのは当然のことでありますが、
       被災地住民や被災地企業の神戸への受け入れなども含めて、
       元被災地ならでのキメの細かな物的・人的支援を可能な実行していかなければなりません。
       そして、そうすることによって東日本大震災の悲劇からも多くのことを学び、
       「世界の防災拠点都市・神戸」へと自らを高めていくことも必要でありましょう。

  それにしましても、人は非力にして、大自然の猛威のなすがままでありました。
       海岸沿いに構築した貧弱な「防災施設」は、大津波の前では余りに非力でありました。
            今後の津波対策インフラは、
            (1) 「津波に立ち向かって津波をを阻止する巨大防災施設」をどう構築するかではなくて、
              津波のエネルギーをどうやって殺ぐか、津波の逃げ道をどう造るか、
              街の中に津波によって破壊されてもよい地域をどう造り、
              そうすることによって、大津波の被害から町を護るという、
              強弱をつけた、津波に逆らわない自然流防災とか、
            (2) 防波堤は、「海岸線と平行に」ではなく、「ハの字型」に造って、
              津波の最初の衝撃が、人家の少ない岬部に誘導されて、
              港湾等の都市部を減災するとか、
            (3) 防波堤に押し寄せる津波の衝撃は、海側からだけでなく、
              防波堤を乗り越えた波が防波堤の内側(陸側)の土台を破壊したり、
              更には、引き波が防波堤を内側(陸側)から破壊したりするわけで、
              防波堤は海側・陸側両面からの衝撃に耐える構造にするとか、
            (4) 盛り土で高架にした幹線道路や鉄道を、防波堤・防潮堤の内側の内陸部に
              配するなどして、分散・多重型で町を護るとか、
            (5) 都市の低地帯に、臨時避難用の機能を兼ね備えた5階建て以上の建物を建てる際には、
              海岸線に対して横長ではなく、縦長になるようにし、
              建物の海側と山側にU字型の防御杭を配して、
              「山側U字杭・高樹木・建物・高樹木・海側U字杭」型に構築して、
              津波襲来時に破壊されにくいようにするとか…、
            今までとは違った柔軟手法で構築されていかなければならないのではないかと思います。
       大災害は、想定を超えたところに発生するがゆえに、大災害となるのでしょうから、
            人は謙虚に自然に対し、町づくりも謙虚に、できることから少しずつ、やっていきましょう。
            1896年の明治三陸大津波から学んだ小さな村(岩手県普代村)が、
            今回の大津波の被害を免れたことを教訓化しながら…。

       それから、人は謙虚に歴史に対し、過去の歴史から多くを学ばなければなりません。
            関東大震災が起こったのは1923年(大正12年)で、そんなに古い事ではないのに、
            あの時の苦い経験は、残念ながら、もう完全に忘れられていました。
            東日本大震災発生直後、東京では公共交通機関がマヒして、多数の帰宅難民が発生、
            帰宅を急ぐ車で、道路という道路があふれかえりました。
            指摘するまでもなく、車は高温で爆発するガソリンを搭載しており、
            車体は燃えやすい塗料で覆われています。
            大地震と火災はつきもので、道路わきの家屋数棟から火の手があがれば、
            渋滞して数珠つなぎになった車列に燃え移り、
            それが導火線となって、街は次々と類焼していき、
            消防自動車は、道が渋滞していて火災現場に近づくことすらできず、
            まかり間違えれば、関東大震災を超える火災となっていたかもしれないのです。
       関東大震災では、東京府内だけで17万6千余棟が全焼、多くの人が焼死しました。
            阪神大震災の死因の多くは倒壊家屋下の圧死で、
            焼死した場合も、倒壊家屋内に閉じ込められて逃げられなかったことによる焼死でした。
            関東大震災の死因の中でずば抜けて多いのは、強風下での焼死で、
            家財道具を大八車に載せて避難しようとしたりして逃げ遅れたことによるものでした。
            (関東大震災は天災ではありましたが、やはり人災でもあったのです)。
       阪神大震災が発生したのは午前5時46分52秒だったので、神戸では帰宅難民は発生しなかったですが、
            神戸は関東大震災からも謙虚に学び、1月17日の慰霊式典にあわせて、
            災害時帰宅困難者の徒歩帰宅訓練を目的とした「1.17ひょうごメモリアルウォーク」という
            兵庫県主催イベントを開催しています。ご参考になさってください。

  それから、もうひとつ。
       人は非力にして、災害に対しては、団結して対処していかなければなりませんが、
       「全ては国頼り」というのは、どうにもいただけません。
       「自分の命は自分で守る」が基本です。公助も共助も、自助なくしてはなりたちません。
       大震災の復旧・復興もまた、自助が基本です。これが阪神大震災の最大の教訓でありました。

           < 東日本大震災の教訓〜原発事故 >             *
  東日本大地震発生時に稼働中であった福島第一原発1・2・3号機は自動停止するも、
       想定していた5.7mを上回る14m以上の津波が襲来。
       非常用発電機、制御盤などが損傷して「電源喪失」状態となり、冷却機能を喪失。
       燃料棒露出と破損・溶解、水素爆発などが起こって原子炉建屋が損壊。
       その後も、1・2・3号機と定期点検中だった4号機(核燃料プール)の冷却機能の喪失状態が続き、
       外部より海水・真水を注入して原子炉や核燃料プールの冷却を行うも、
       高濃度の放射性物質が大量放出され続ける非常事態(チェルノブイリと同じレベル7)となりました。
  このため、福島原発から半径 20km圏内が立ち入り禁止の警戒区域に、
       20km〜20km圏内が屋内退避指示区域になり、
       更には、高い放射線量の数値が続いている20km圏外(福島県飯舘村など)にも
       避難区域を拡大することとなりました。

  こうした重大なる原発事故は、ほんの少し前までは、決して起こることのない事故とされていましたが、
       原発史上初の「冷却材喪失による大規模原発事故」はやはり起こってしまいました。
  そして、「想定する必要すらない」と公言していた人たちが、その自らの過去に触れることも謝罪することもなく、
       福島原発で起こっていることを物知り顔で解説するのを、テレビで見た時に感じた、
       あのどうしようもない虚脱感を、私は今でも忘れることができません。
  福島原発で起こったことは、想定内原発事故が想定通りに起こったに過ぎません。
       が、それは決して起こってはいけないことでした。
       的中してはいけない予想、それが的中した、深い、深い、悲しみ…、
       この悲しみの深き淵より這い上がることは容易ではありません。

  私は言葉を紡ぐことしか能がないので、拙きを省みず、軽き言葉を紡ぎます。

  日本の原発開発史の不幸は、原発批判派の主張の全てが、
      「想定する必要すらないことは検討するに値しない」として黙殺され、
      原発システムに内在する負が不問にふされて、
      その負に対処できる十全の対策もないままに、54機も建設・運用されたことにあります。

  そして、もうひとつ忘れてならないことは、
      「原発は厭、でも電気は欲しい」という国民のエゴによって歪めらた開発史をもっていた、
      ということだろうと思います。
      翻って考えれば、国民の選択肢は次の二通りしかなかったはずです。
      ひとつは、「原発事故の被害は甚大過ぎるので、原発による電気はいらない。
              そうすることによって足らなくなった電気は、他の方法で手に入れるか、
              我慢して使わないようにするかしよう」。
      もうひとつは、「日本は工業立国。産業の振興のために十分な電気が必要なので、
              原発もまたやむをえない。原発には危険な面もあるので、十分な対策をとって運用しよう」。
      国民が実際に選択したのは、「原発は危険なので厭。造るとしたら、できるだけ遠くに造れ。
              電気は必要なので、十分にいただく」でした。
      電力会社と原発行政機関は、「電気は必要・原発は安全」をキャッチフレーズにして国民を欺き、
              十分なスペースが確保されない余裕のない原発施設で、
              大いなる発電を手にいれようとしたのでした。

  電力会社も、電気を大量利用する日本の産業界も、そして電気の利便性のみを享受しようとした国民大衆も、
      この半世紀もの間、原発の美味しいところ取りだけをして、
      誰ひとりとして原発のリスクを取ろうとしませんでした。
      その重いツケを、日本は払わされることになりました。おそらくは数十年の長きにわたって…。

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