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  東日本大震災に思う…民助で復興支援


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        東日本大震災に思う…民助で復興支援   *  

              < はじめに >           *
  東日本大地震の復旧・復興が思うように進まない。
        電気・ガス・水道のライフラインが再生できていない地域がある。
        仮設住宅建設も十分とはいえず、10万人近くの人たちが避難所生活を強いられている。
        瓦礫の撤去も終っていない…。
        東日本大地震から三ヶ月、被災者たちの間に広がる疲労は濃く、傍目にも痛々しい。
  地震・津波・原発事故の被害が、広範囲かつ甚大でありすぎた。
        阪神大震災も大変だったけれど、東日本大地震ほど過酷過ぎる災害ではなかった。
  被災地神戸の経験も、東日本大地震には役に立たないのではないか、
        そうした思いがつのるこの頃ですが、
        阪神大震災の復旧・復興から少しでも多くのことを学び、
        東日本大地震の実情に見合った新しい復旧・復興のありようを模索することも、
        また必要なのではないかと思い、この稿を起こすことにしました。

           < 阪神大震災の復興資金 > 
  阪神大震災に際して投入された復興資金16兆3,000億円。
       このうち、10兆円近くが震災後4年間で使われました。
       また、用途別に見ると、市街地整備費が10兆円近く、
       都市インフラ整備にその多くが使われました。
       神戸などが復興ができたのは、この集中的な公的資金の投入があったからで、
       復興の要が「公助」であることは、改めて指摘するまでもないことでありましょう。

           復興資金16兆3,000億円に関連して付記しておかなければならないことがあります。
           それは、この額は半端ではなく、
           その投入先のひとつである神戸は、震災復旧・復興の過程で筆舌しがたい恩義を受けた、
           そして、このとき、神戸が今後、進むべき道(世界の防災拠点都市・神戸への道)も
           自ずと定まってしまった、ということです。

          < 阪神大震災復興の教訓 >
  東日本大地震の復旧・復興の遅れが問題にされるとき、
       「阪神大震災の時と比べてかなり遅れている」と、
       阪神大震災の際の復旧・復興がよく引き合いに出されます。 
  が、阪神大震災の復旧・復興も、決して褒められたものではありませんでした。
       一例をあげると、壊滅的な被害を受けた神戸港の再建を漸くにして成しとげたとき、
       神戸港はアジアのハブ港の地位を失い、釜山港の後塵を拝するようになっていました。
       みんな頑張った、神戸も一生懸命、頑張った。
       それでも、壊滅的な崩壊を受けた都市の再生はそう簡単でなかったのです。
  東日本大地震の復旧・復興が容易でないことを嘆いていても始まりません。
       復旧・復興を遅らせている東日本大地震特有の問題は何か、
       それはどう克服できるのか、みんなで考えましょう。
       そして、神戸の人は、阪神大震災の復旧・復興の検証を改めて行い、
       東日本大地震被災地にアドバイスできることがあったら、
       失敗したことを含めて、恥ずかしがらずに伝えましょう。
  東日本大地震の復旧・復興で一番肝要なことは、
       公的復興資金を迅速に投入して、果敢に運用されなければならないの
       一語に尽きるでありましょう。
       第二次補正予算成立のメドすらたっていない今、
       このことに改めて触れなければならないことに、深い憤りを覚えます。

          < 自助・共助・公助 >
  阪神大震災のとき、<自助・共助・公助>という視点から、復旧・復興が論じられました。
       自助とは、自分の責任で、自分自身が行うこと。
       共助とは、自分だけでは解決や行うことが困難なことについて、周囲や地域が協力して行うこと。
       公助とは、個人や周囲、地域あるいは民間の力では解決できないことについて、
              公共(公的機関)が行うこと。
  <自助・共助・公助>という概念は、大震災被災地の復旧・復興は、自助だけでは不可能で、
       キメ細かな共助・公助が必要という考え方から導きだされた概念で、
       被災者自らがこれをいうときは、
       「共助・公助に頼っていてはいけない、自助がなければ、大震災からの復旧・復興はありえない」
       ということでした。

  大震災の復旧・復興は<自助・共助・公助>観点から論じられ、
       それはそれで一定の理解を得られたのですが、
       この視点から漏れ落ちた、ある重要なファクターが存在していました。
  それは何かといえば、<災害ボランティア>です。            
       阪神大震災の際には、延べ137万7,300人のボランティアが全国から駆けつけ、
       <ボランティア元年>といわれました。
  このボランティアは、<自助>でも<公助>でもなく、強いて分類するとすれば、
       <共助>の範疇にはいるのでしょうが、<共助>は、老人被災者の孤独死を防ぐ活動など、
       被災者自身が自ら率先して行う、コミュニティ内の共助活動であり、
       大震災以前にはたいした縁故を持たなかった人たちが、
       全国各地から参集して、震災支援を行うというのは、
       <共助>でひとくくりにできない事象だったのではないか、と思います。

  この災害ボランティアは一過性のもので終らず、その後もしっかりと定着し、
       東日本大地震の被災地にも、多くの災害ボランティアが全国各地からはせ参じました。
  阪神大震災のときは自然発生的・萌芽的であったがために、一定の組織だった活動を展開できませんでした。
       そのせいかどうかは知りませんが、災害ボランティアの概念的位置づけは曖昧で、
       <自助・共助・公助>概念の中に正しく位置づけられることはありませんでした。
  本稿は<自助・共助・公助>に<民助>をくわえて、<自助・民助・共助・公助>説を提唱します。

          < 民助で復興 >
  個人的な話で恐縮ですが、阪神大震災直後の、
       親族とも連絡がとれない、まだ電話も十分に開通してない混乱期に、
       アメリカ・バーモント州の小さな都市・バーリントンから、一本の国際電話がかかってきました。
       電話は、半年前に俳子庵にお招きして、ひと夏を共にすごした留学生の父親からのもので、
       地震被災のお悔やみと、わが家人の安否確認と、援助支援の申し出がありました。
       俳子庵は神戸市北区にあって、被害は軽い方だったので、
       援助支援の申し出は固辞しましたが、その時思ったのは、
       「私たちは、なんてすごい時代に生きている」のだ、ということでした。
       そう、このときすでに、ボランティアは国境を超えて展開されていたのでした。

  このボランティアの底力を、<自助・民助・共助・公助>な観点からとらえなおすと、以下のようになります。

  3月26日付けのmns.産経ニュースによると、
       「東日本大震災の被災者のために、日本赤十字社と「赤い羽根共同募金」で知られる
       中央共同募金会に寄せられた義援金は合わせて466億円を超えた。
       2週間で約164億円(日赤分)が集まった阪神大震災を大きく上回り、過去最高ペースとなっている。」
       また、4月27日(水)現在では、208万9,897件 1,588億8,851万2,371円の義援金が寄せられたという。
  義援金を寄せるというのは、<民助>のひとつで、
       個人のみならず、多くの企業家も参画して、その規模を拡大している。
  義援金はどこでどう使われるのか、定かではなく、
       一抹の不安をいだきながらも、被災者に微力ながらも義援金を、というのが正直なところなのでしょう。
  <自助・民助・共助・公助>では、この義捐金方法はどう変わるのでしょうか。
       一例をあげましょう。
       テレビを見ていると、防波堤が壊れて、波戸に強い波が押し寄せて、
       神戸港からやってきた小型コンテナ船が揺れながら荷降ししていました。
       コンテナ船の横腹が岸壁に当り、クレーン操作がおぼつかい状態でした。
       防波堤の修復には、時間とお金がかかります。
       ここは公的資金を投入して、防波堤の早期修復をはかる、というのが従来の手法でした。
       < 民助で復興 >では、○×防波堤の修復に賛同した人たちが、
       ネットなどを介して義捐金をおくり、
       <初めの一歩・震災復興堤>ファンドを立ち上げ、政府による公的資金導入の口火を切る。
       植樹をするとき「○×さんの木」方式で植樹を行う、その震災支援版というべきもので、
       船の出入りする近くに、小さいながらも義捐名簿板を設けて、出資者の芳名をのこし、
       後世の人に贈り物をする手法です。

  義援金では、目に見える復興支援がおこなえない。
       ここは現地に出向いてでも、復興支援を行いたい人たちの災害支援ボランティアも、
       現地には行けないけれど、被災者の生活必需品などの支援物資の送るボランティアも、
       <民助>の一形態でありましょう。 
       (災害支援ボランティアについてはすでに多く論じられているので、ここでは割愛します)

  <民助>の本流は、産業界全般を広く網羅する形で展開される<民助>にあります。
       大企業が被害を受けた直系支店や工場、系列下請け企業を支援するのも
       <民助>のひとつではありましょうが、ここでいう<民助>は、
       北海道・函館や三重県などの漁業関係者が三陸の漁者を支援するなど、
       同業者の間でおこなわれる物心両面の支援のことをいいます。
       また、農林水産業等の再生には、
       <公助>による資金援助だけでなく、民間資本の積極的な導入も不可欠で、
       こうした民間参入が幅広く展開されることによって、よりダイナミックな創造的復興が可能となります。
       それから、都市インフラ再生の分野においても、都市整備再生の基本計画作成後には、
       民間デベロッパーによる大規模な宅地造成や商業地再生を早期に導入することも必要でありましょう。
       また、まちづくりプランナー、建築家、大学研究者、弁護士など、業種を越えた支援も必要で、
       こうした高度に専門的で組織化された<民助>も、復旧・復興の大きな力となります。

  民のことは民が一番よく知っています。
       民が再生しなければ、震災復興もまたありえないわけですから、
       復旧・復興の早い段階から、民力を最大限に引き出す<民助>を導入する、
       東日本大震災という、未曾有の国難を超える道は、そこにしかないのでないでしょうか。

          < 民助で復興 > 
  阪神大震災は、「ボランティア元年」といわれました。
       東日本大震災は、「民助元年」となる !
       あらゆる産業を幅広く網羅する形で<民助>が行われ、
       東日本大震災の復旧・復興を手助けするでありましょう。
       そして災害時復旧・復興における<民助>はどうあるべきなのか、
       <民助>と<自助><共助><公助>との連携はどうあるべきなのか、
       多くの人が知恵を出し合う、そういう震災復興になるのではないかと思います。
                               (2011年6月5日執筆)

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