「義経は将の器ならず」考 * |
義経は軍事の天才だった。機を見るにさとく、既存の戦術定石にとらわれることもなく、変幻自在の奇襲を得意として、 常に戦の最前線で戦って負け知らずだった。 壇ノ浦の合戦の際も、源氏の総大将だったにもかかわらず最前線で戦い、梶原景時に「将の器ならず」と酷評された。 義経がなぜ戦に強く、かつ将たりえなかったのかについて考えてみたい。 |
平清盛は開明的な君主だった !? 清盛は、知行地の獲得が主要な関心事であった時代に、交易による利を拡大せんとして兵庫の地に港を築き、福原に遷都する。 彼のような考えが市民権を得るのは、およそ400年後、堺商人が活躍する信長・秀吉の時代を待たねばならない。 この一事をもってしても、彼の先見性は格段であったことがわかる。 が、この「時代離れ」は彼の最大の弱点で、この天才的な君主が死すれば、即一族の凋落となる !? |
源頼朝と義経の関係 時代は平家から源氏へと傾斜していく。源氏の将は頼朝ひとりであって、ふたりの将は必要がない。 義経が戦で功をあげても、頼朝の上にでることはありえない。頼朝も義経も、それを十分承知していた。 義経は一兵のごとく戦い、そのことによって頼朝への忠誠を表現し続けた。 その忠誠心を疑われたくなかったから、義経は死を賭してよく戦った。 が、義経が名をなせばなすほど、頼朝との確執は深まっていく。頼朝が義経を警戒するようになったから、ではない。 頼朝の力が巨大になり過ぎるのを嫌った勢力があっから、である。 頼朝は義経を配下に組み込めたのに、そうしなかった。そうできない事情があった !? |
源頼朝は傀儡政権だった !? 頼朝は平治の乱で敗れた源義朝の遺児で、伊豆に流され、長く北条時政の監視下にあった。 頼朝は源氏の将であったが、強力な直属 家臣団を持たなかった。義経すら配下に組み込まなかった。そうする他なかった。 頼朝は関東武士団との「旗」に過ぎなかった。この「旗」を最もうまく利用したのは、北条時政だった !? 源平の合戦の時代と、それに続く御家人の時代を牽引したのは、北条時政の構想力だったのでは !? |
頼朝は有能な将であった。が、徳川家康のような直属家臣団をもたなかったことから、短命政権となる。 義経の死と実朝の死とは、いずれも頼朝の越えがたい宿命によってもたらされたのではないか… というのが、今回の俳子の独断状です。 |
飛花落花 大和心を 人問はば… 桜 と 義 経 * |
「菊と刀」と「桜と義経」: 日本文化を理解するのに「菊と刀」という切り口がある。 ここでは、「桜と義経」というキーワードを設けて、日本人の美意識について考えてみたい。 |
梅と桜: 春を告げる花といえば梅。が、この花が咲くころはまだ寒く、春到来の喜びも半ばぼど。 これに対して桜は、春の本格的な到来を待って咲くことから、それを見る喜びもひとしおだった。 桜は「稲の精霊」の最初に宿る所としてあがめられた。 |
桜を美しいと感じる心: 桜は色合い淡く、清楚な感じが好ましい。開花期が短く、散りぎわが潔い。 日本人は万朶の桜を見るときも、その花の命がはかないことを意識しながら見る。 桜はすぐ散るから美しい。 桜と歌: 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平 散ればこそいとど桜はめでたけれ 浮世に何か久しかるべき よみ人知らず 桜は日本人の無常観にマッチした花だった。 |
桜と義経: 義経は「驕る平家」を滅ぼす第一の殊勲をたてながら、権力の中枢にとどまることなく、非業の死をとげる。 まるで桜の花のような男だった。 「義経英雄」伝説: 日本人は「並意識」の強い民族かもしれない。 支配者はいつか「驕る平家」となり、滅ぼされる。そして「驕る平家」を討った者もいつか驕るようになり…。 義経は唯一、この連鎖の枠外にいる英雄だった。 義経の英雄伝説は、全国いたりところに実在する。 「平家物語」の語り部たちが種をまき、名もなき多くの平民が育みそだてた夢、それが義経だったのでは…。 |
NHK大河ドラマ「義経」: 今年のNHK大河ドラマは「義経」。 NHK大河ドラマ「義経」公式サイト コンピューターグラフィック技術を駆使した、このドラマによって、 「義経英雄」伝説が現代によみがえるかどうか、今後が楽しみです。 「義経」と神戸: 兵庫に港を設けて交易に望みを託さんとする清盛一族と、源氏再興を願う頼朝・義経との決戦の地・神戸の源平史跡を訪ねて、 あなたも新しい「義経英雄」伝説を見つけてみませんか。 関連サイト:義経「神戸源平物語」 NHK大河ドラマ「義経」と神戸 弊サイト: 福原京跡と兵庫津の道を訪ねて |
俳子の独断状 |
「義経は将の器ならず」考 桜と義経 「鈴蘭台=西の軽井沢」文化・考 |