| カフェ&レストラン 旧居留地十五番館(2) ** | |
![]() | 左写真は旧居留地十五番館全景 2階の向かって左隅の部屋で食事しました。 背後の総ガラス張り高層ビルが、 旧居留地十五番館を所有している 建材メーカー・(株)ノザワの本社ビル。 (株)ノザワの概要は、 ノザワ - Wikipediaを参照ください。 |
![]() | 旧居留地十五番館を一筋東(京町筋)に行くと、 神戸市立博物館(左写真)があります。 神戸市立博物館は、 ・1935(昭和10)年に建てられた 旧「横浜正金銀行」ビルを増改装した 古代ギリシャ神殿風建物の博物館 ・国宝の銅鐸・銅戈や古地図、南蛮紅毛美術品 など約34000点のコレクションを所蔵 |
![]() | 神戸開港とともに開かれた外国人居留地 旧居留地の歴史は 1868年の兵庫の開港により始まります。 外国人居留地は、 イギリス人土木技師J・W・ハートの設計をもとに 126区画に整然と分けられ、 外国商館を中心として、領事館やホテル、教会 など、近代洋風建築物が数多く建てられました。 左写真は旧居留地38番館。 南側正面に4本のイオニア式円柱がある アメリカン・ルネッサンス様式の近代建築。 1929年にシティバンク神戸支店として建設。 大正時代築の外壁が残されている神戸大丸 百貨店2号館・3号館に隣接。 |
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左写真は「商船三井ビルディング」 1922年旧大阪商船神戸支店として竣工。 設計者は渡辺節。 アメリカルネサンス様式の7階建てのビルで、 最上部半円の破風やテラコッタ(装飾用の素焼き の陶器)をあしらった石積みの外壁、 プラスター(しっくい)を使用した内装などが特徴。 東京の旧丸ビルが取り壊された現在、 大正期の大規模オフィスビルとして現存するのは、 大阪ビルヂング(渡辺節 設計)とこの建物のみ。 商船三井ビルディングは海岸通5番地に建っていて、 旧居留地十五番館の西南すぐにあります。 |
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「商船三井ビルディング」追伸(2009.10.12執筆) 本稿執筆後まもなく、大阪ビルヂングは 老朽化のために取り壊すことが決まりました。 大阪ビルヂングはネオ・ロマネスク様式の大楼。 中之島通側玄関まわりの石造装飾を 一目見ただけでも、保存の価値があることが 歴然としているのに…、現代の技術で十分に 補修補強可能なのに…、ああ…。 歴史的遺産というのは、有形無形を問わず、 現在、そこにあるだけで絶大なる価値を 有しているものの総称であって、 人はそれに接するだけで、よき薫育を受けます。 それは、有能な教師を数多く集めても 果たすことができない、質的な高さをもった訓育、 <文化の極み>ともいうべきものであって…、 そうした基となる歴史的遺産を失えば失うほど、 文化は痩せ細っていくのではないでしょうか。 |
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左写真は「商船三井ビルディング」の裏門 壁面に施された石造装飾は手がこんでいて、 一見する価値があります。 ボランティア・ガイド (左肘に緑の腕章をつけている人)が、 旧居留地を無料で案内しています。 旧居留地のボランティア・ガイド詳細は、 以下のサイトをご覧ください。 ひょうごツーリズムガイド >神戸旧居留地コース |
| <旧居留地十五番館・企業家と街づくり>考 * | |
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<旧居留地十五番館の歴史 1 > 明治13年(1880年)頃に建設され、 最初の10年間はアメリカ領事館として使用された。 その後いくつかの企業が入れ替わり、 昭和41年(1966年)より(株)ノザワが所有。 旧居留地に現存する唯一の商館であることから、 平成元年(1989年)に重要文化財の指定を受け、 平成2年(1990年)から保存修理工事を開始。 保存修理工事完了後は、中華料理店としてオープン。 (左写真は旧居留地十五番館2階バルコニー) |
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<旧居留地十五番館の歴史 2 > 平成7年(1995年)に発生した 阪神・淡路大震災により全壊。 「構造材の50%が使用可能であれば重要文化財として 再度指定(文化庁の調査官)」するとされたことから、 国・県・市からの補助を受けて、 同年12月より復旧工事を開始。 倒壊前の部材70%を使用し、 徹底した耐震工事をほどこして、 平成10年(1998年)、修復を完了。 (美術品の修復に近い緻密な作業だった)。 修復再建後はカフェ&レストランとして開業、 現在に至る。 参考サイト:日本の近代遺産50選 > 35 旧神戸居留地十五番館 (左写真は、旧居留地15番館の西隣の広場にある 山口克昭作「おしくらまんじゅう」という彫刻) |
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旧居留地十五番館は、 昭和41年(1966年)より(株)ノザワが所有。 阪神・淡路大震災により全壊した重要文化財を 修復するのに要した総工費は 8億円。 国・県・市からの補助を受けたにしても、 ひとつの企業がこの修復作業のほとんどの 経費を賄ったのだとしたら、 これは尋常なことではありません。 (左写真は、旧居留地十五番館の北隣に建つ 総ガラス張りの(株)ノザワ本社ビル) |
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旧居留地十五番館のなにがそうさせたのか ? その答えとして、ふたつを考えてみました。 (1) 築130年の重み (2) 自分を育ててくれた街・神戸への愛着 (株)ノザワと幣サイトとは 地縁・血縁・金縁まるでなく、 インタビューはおろか、会ったこともなく、 これからも無縁のまま…、 よって以下の記述も、 (株)ノザワ未承認のものということになります。 (左写真は、(株)ノザワの正門玄関) |
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<築130年の重み> 130年も生き続けていると、 建物にもいろいろなことが起こります。 旧居留地十五番館には、 太平洋戦争末期の神戸大空襲と、 阪神・淡路大震災の二度、 存亡の危機がありました。 十五番館には、激動の時代を際どく 生き延びたものだけが持つことを許された 「歴史の重み」というがあります。 (左写真は、旧居留地十五番館の前にある 旧居留地下水道公開施設) |
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明治5年(1872)ごろ造られた 日本最古の西洋式下水道。 レンガ造りの卵形をした下水管で 登録有形文化財。 現在、展示されているものは「阪神大震災」で 被災し、復原されたもの。 筆者が幼少の頃(今から半世紀前)、筆者のふるさと ・広島には近代的な下水道がありませんでした。 路地道に入ると、道の端に、幅狭くして浅い 排水溝があって、雨水だけでなく、生活排水も 流れこみ、底には黒いヘドロがたまって、 夥しい数のボウフラ(蚊の幼虫)がわいていました。 それより 90年前に、神戸居留地には、 左写真のような近代的な下水道あったのです ! |
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<洗練された文化の重み> 十五番館の暖炉の枠金物はニューヨーク製で、 炉前床タイルはイギリス製。 柱にはギリシャ・ローマの様式が取り入れられ ていて、しかもジャパニーズ木製…。 十五番館には古今東西の文化の粋が集められ、 神戸居留地文化がいっぱい詰まっています。 十五番館は、日本がまだ世界に開かれていた 古き良き時代の象徴的建造物であったから、 世界を敵にまわして戦った戦争末期にも 大空襲の標的にされずに、戦禍から逃れえたし、 戦火をくぐりぬけた歴史的遺産だったから、 大震災のときに壊滅的打撃を受けても、 見事に再生しえたのではないでしょうか。 |
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<神戸への愛着> 個人もそうだろうけれど、企業もまた、自らを育み 育ててくれた産土(うぶすな)を持っています。 産土の地が文化を重んじ、豊かな文化を育てていれば、 そこに住む個人も、そこに基盤をもつ企業も、 その恩恵を受けるのではないでしょうか。 企業が世界に受け入れられるのは、 その企業が造り出す製品が、 世界中の多くの人たちに愛用される 普遍的な価値をもっているからであって、 その普遍性と「産土の文化」とは 密接な関連性がある、と思います。 (左写真は(株)ノザワ全景) |
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神戸は山が海に迫っていて、狭き土地柄であった ために、内需拡大型の都市たりえず、海外との 交易に、その活路を見出すほかありませんでした。 神戸は海の外に出て行くことで、世界中の異質な 文化に接し、その積み重ねの中で、多様性・受容 性に富んだ独自の日本文化を育ててきました。 その中核を担い続けた旧居留地を産土とする企業が、 その「産土の文化」への恩返しとして旧居留地 十五番館の修復を行った、のではないでしょうか。 旧居留地十五番館でフレンチを食べるということは、 腕のいいコックが作った料理を ただ食べるということではありません。 熟成された130年の歴史・文化の厚みの中で、 心豊かに食を楽しむ、ということなのでは ないでしょうか。 早春や レトロモダンの 似合ふ街 俳子 |
| 本稿は2009年3月に執筆、2009年10月に一部加筆しました。 | |
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