| 須磨の句碑 阿波野青畝・須磨離宮公園 * | |
![]() | 須磨離宮公園 前身は大正期に完成した武庫離宮。 1967年に今上天皇御成婚記念として神戸市に下賜され、 須磨離宮公園となりました。 噴水とバラ園からなる欧風庭園(本園)と、旧岡崎邸の 跡地を利用した植物園よりなり、 緑豊かな市民の憩いの場として親しまれています。 住所:神戸市須磨区東須磨 1-1 電話:078-732-6688 アクセス:山陽「月見山」駅下車 北西へ徒歩10分 山陽「須磨寺」駅下車 北東へ徒歩10分 JR「須磨」駅より市バス妙法寺駅前行 「離宮公園前」下車すぐ 公式ホームページ:http://www.kobe-park.or.jp/rikyu/ |
| 須磨離宮公園・噴水広場 | |
![]() | 須磨離宮公園正門を入って石段を登りきった所に 阿波野青畝(1899-1992)の句碑が建っています。 須磨涼し 今も昔の 文の如 青畝 「昔の文」とは「源氏物語」と考えるのが妥当でしょう。 海を見下ろせる緑豊かな地・須磨は、 「源氏物語」に描かれた昔と同じように、 今も変わらず美しく、涼しい、という句。 (この句の鑑賞は下記をご覧ください) 俳子の添え句 文涼し 心澄みたる 人のごと 俳子 |
| 阿波野青畝の句碑 | |
阿波野青畝の句碑(碑文) |
阿波野青畝の須磨涼し 今も昔の 文の如という句を 見たときの衝撃を、今でも忘れられません。 旧岡崎邸の和室で開かれた句会。 が、まだ俳句を始めて間がない頃で、句ができません。 広い離宮公園内をさまよい歩いていると、 園の隅の目立たないところに青畝の句碑がありました。 阿波野青畝がどんな人なのか、よく知りませんでした。 ちなみに、青畝は『ホトトギス』の四Sのひとり(誓子、 素十、秋桜子、青畝の4人の頭文字をとって四S)。 幼少の時に耳を患い、以後、難聴に悩まされ続けた。 葛城の 山懐に 寝釈迦かな などの句を作りました。 この句を見て、最初に思ったのは、 この人の書く文は「涼しい」だろうなぁ、ということでした。 次に思ったのは、 文は人なり、ということでした。 心持ちの涼しい人の文は、明朗明晰にして爽やか。 文涼やかなれば、その人の人柄もまた涼しい。 そして最後に思ったのは、 俳句は言葉を紡いで作るものではなく、言葉をそぎ落とし て作るもの、 その過酷な作業を経て残された俳句の十七文字は、 その人となりをごまかしようがない、ということでした。 旧岡崎邸の和室での句座は、散々なものとなりました。 |
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<阿波野青畝句碑>考察・つづき; 阿波野青畝が生まれ育った葛城(奈良県高市郡高取町)と 須磨はよく似ています。 いずれも自然が豊かで美しい。 歴史ある町で、独特な文化を育ててきました。 奈良文化圏のなかで葛城が占める位置と、近畿文化圏の なかで須磨が占める位置がよく似ています。 少し辺境の地にあって、その文化圏の影響を強く受け ながらも、独自の文化を発展させてきました。 阿波野青畝が須磨に句を残したのは、葛城と同じ匂いを 須磨に感じたからではないでしょうか。 長い時間をかけて培われてきた文化は、更なる文化を引き 寄せ、新たなる発展をとげていくのではないでしょうか。 そして、こうした文化を大切にする町は栄え、 軽んずる町は、やがて衰えていくのではないでしょうか。 |
| 旧岡崎邸の和室 | |
| 須磨の句碑めぐりの旅 最終章 | |
![]() | 須磨離宮公園の薔薇 品種:ダイアナ・プリンセス オブ・ウェールズ 俳子の添え句 薔薇熟れて 王侯貴族の 名を冠す 芳しや 崩れかけたる 花薔薇 俳子 |
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須磨離宮公園の花菖蒲 俳子の添え句 花菖蒲 濁りて浅き 池の水 花菖蒲 日暮れてよりの 水明かり 俳子 |
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芭蕉の足跡をたどる「須磨・句碑めぐりの旅」も、 この<阿波野青畝句碑>の章でひとまず終わりです。 最後にひとこと; 芭蕉と俳子の違いは、人と文の違い、 たった十七文字に全てを捧げえた人と、 うつせみの余技で俳句を作っている人との違い… なのかもしれません。 俳子の止め句 武庫離宮 中門遺構 月清し 太古より 風立つごとく 月涼し 俳子 |
| 武庫離宮中門遺構 | |
| 須 磨 ・ 句 碑 め ぐ り の 旅 |
| 芭蕉・須磨寺句碑 芭蕉・現光寺句碑(序章) 芭蕉・須磨境川句碑 蕪村・須磨寺句碑 蕪村・須磨の浦句碑 子規・虚子句碑 尾崎放哉句碑 阿波野青畝句碑(最終章) 五十嵐播水句碑 神戸観光名所歳時記・須磨 |